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会場記録「アズーミュージアム’08」「新たなる架空通信展」

アートの集い【第1場】
wsとシンポジュウム

ワークショップ「フロッタージュするは我にあり」2008. 9/15 14:00〜15:00
茨木市立ドリームホール アズーミュージアム館内





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参加者全員の45分間に採集された凹凸の痕跡の集積で一つの巨大な壁面を作る。最終に出来上がるものが問題ではなく、各個人がフロッタージュ(こすりだし)の作業を通じて何か夢中になる瞬間を見つけることが重要。手で触れたり、近づいて凝視したりしながら会場全体と売店、ロビー等も含めて物質の表面の状態を注意深く観察し、凹凸をコレクションしてヒゲセンセに見せにくる。それを感想やアドバイスを発しながらどんどん有孔ボード3枚分に貼付けていく。(画面の構図をそれなりに考えながら)ただそれだけですがハマル人はハマル。数日は「フロッタージュする目」が残ってるはず。画材/A4コピー用紙500枚+コンテ/パステル/色鉛筆+だるまピン


シンポジュウム「美術は世界を救うか?」9.16 19:00〜20:30
茨木市立ドリームホール アズーミュージアム館内

※なぜかハチマキをしてトークしてるゲストと司会者。楽しい時間はあっというまに過ぎて行きました。その一部を軽〜くダイジェスト版で雰囲気を味わって下さい。

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奥西

「境地」のようなもの。 明治時代から引継がれてきたものを、どう継承しまたどう否定するのか。
戦後すぐ、そんなに洋画など描いている人は少なかった時期に、黙々と遮二無二やって来た人達がいる。/実家が建築家だったもので、そんな影響もどこかにあったのか。職人さんが持って眺めている図面が妙に美しく見えました。それが物作りといいますか美術的なものへの初期微動だったかも知れません。/数年前に「癌」を患って、開き直りというかこんなもんかみたいな感じがある。/ミヤザキアトリエで数十年、芸大美大受験のゼミを担当しデッサンを教えてきました。その中の教え子の中に中澤氏もいて、こうしてまた出会ったたことも面白いことです。/いろんなアートが出て来て興味は尽きません。

森口

1998,9年とマンチェスター大学で夫がアルミニュムの研究に携わっていました折に
わたしはメトロポリタン美術大学のアーツ フォー ヘルス(健康のための芸術)というところで病院や福祉の現場での芸術のあり方を考えることになりました。マンチェスターはホスピタルアートの盛んな所でしてパッチ・アダムス氏(米)が基調講演をされたCHARTS'99というシンポジウムには世界から500名以上の方々が集まり、病院や福祉施設に於ける芸術の役割について熱心に議論が交わされました。イギリスの総合病院や子ども病院内でのアートの果たす役割の大きさに、とても触発されました。このイギリスでの経験を糧に、日本の病院や福祉施設にも、「ホスピタルアート」を提供してゆきたい、との思いから、日本での活動を始めることになったのです。活動は2000年あたりからスタートし、2004年から正式にNPOとしての認可を受けました。芸術系大学の学生や、プロの作家の協力を得ながら様々な病院や福祉施設で活動実績を積んでまいりました。私も女性として母親として様々な経験を経てきた40代の今だからこそ、ホスピタル・アートというものに取り組めるのだと思います。アートは何も専門的にそれを学んだ人やアート愛好家の為にだけあるわけではなくって、こどもやお年寄り、体の弱い人や心を病んでる人、障害のある人などの為に、真っ先に差し出されるべき筈のものではないでしょうか?心のお薬としてのアートのあり方を提案していきたいですね。

一橋

世界でも数少ないナマコの研究者です。ほかに音楽演奏者の生理学的研究などをしています。芸術を生物学、生理学の視点からも考えています。/東北大学の先行研究では、楽譜を見ながら演奏すると脳の左右が同じ様に活動していますが、暗譜して楽譜を見ない状態で演奏すると、左の脳は休止状況になるという研究があります。右脳優位で演奏していることになり、演奏の情感がぐっと増すことにつなるのだと思います。私の研究では、このとき、体全体の生理学的なコミ ュニケーションが盛んになっており、文字通り全身全霊の演奏に近づくのだという示唆が、音楽演奏者の皮膚電気活動計測の研究からも得られています。/水族館でコンサートなど企画しているのですが、生物学を楽しく音楽にのせて伝えられたらと思い企画してきました。/スタインウエイのピアノを用いてナマコに音楽を聴かせる実験をしました。特に低音に反応していました。ナマコにはヒトのような耳はありませんが、からだ全体で音を振動としてとらえられるのではないかと研究を続けています。/芸術が世界を救うかと言えばそれは人の世界にとってどうかということで、その他の生物にとっては人類絶滅などそう関係ないのかもしれない。

ただ人は他者や、他の生きもの、自然やものに感動し、表現することが出来る。/人間は「共感する力」と「感じたことを表現する力」が他の生き物より特に優れていると思います。

このことこそがアートや美術表現や芸術の重要なポイントだろうと確信しています。

中澤 
こどもの頃はどんな子でしたか?

一橋
勉強は小4ぐらいまでまったくしませんでした。評価1とか2とかね。
川で魚釣りしてました。あと絵を描くのも好きでした。

中澤

5才の時に近所の幼馴染みの3つ年上のお兄ちゃんがいて、スケッチブックに鉄腕アトムの横顔を描いたんですがそれがとても印象的で今も鮮やかです。アトムの横顔というは当時とても新鮮でした。誰も見た事のないものを想像で描いている訳です。未知なものを描くこと。いまでもヒントだと思います。/お時間が参りました。記念すべきアズーの第1回目のシンポジュウムにご参集くださいまして有難うございました。


パネラー 
森口ゆたか (現代美術作家/NPOアートプロジェクト代表) 
一橋和義    (なまこ先生/世界でも数少ないナマコの研究者
      東京工業大学技術協力員/ 武庫川女子大学音学部非常勤講師 )
奥西豊彰 (画家/美術教育/アズーアートラボラトリー教授)
司会
中澤照幸  (現代美術/G・デザイン/アズーアートラボラトリー主宰)


08.9.15.16はワークショップとシンポジウムともに沢山の方々に集まっていただきまして感謝しております。年齢幅も広く下は赤ちゃんから上は70代まで、大阪北部のこのローカルからどんな話しが発信していけるのか? ひざを突き合わせてのアートの現状やら周辺やらを話しあってみました。思いやりや伸びやかさに欠けたこの時代だからこそ必要とされる情緒的な世界や情操の教育があり、地域に根ざした民間の芸術教育の意義がそこにあるのではないかと痛感いたしました。

「アズーミュージアム’09」は前回と同じドリームホールにて9.22(TUE/祝).23(WED/祝)の2DAYS です。是非また足をお運び下さい。
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アートの集い【第2場】
2009.4.16→4.21 「新たなる架空通信展」神戸アートホール 

短い会期ではありましたが多くの方にご来場賜りまして
誠にありがとうございました。これからもよろしくお願い申し上げます。
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アートと芸術は一見ちがうもののようなイメージがありますが、実のところ同じです。
こうかくと爆笑する方も多い。(笑) 例えば商品名称としてのネールアートと西洋美術史のストリームは、どれぐらい遠いのか?ルネサンス以降、人間の肉眼を画面の中心に置いて世界を見渡そうと試み、歴史は前時代を否定した。伝統と前衛、クラシックとサブカルチャー。形のないものに形を与えようとしているのだから当然、穏便な生活者としてのリスクも高くなる。もの言わぬ大人しい社会人ではなくなる。風変わりな作品と双児のような作者は、作品になりかわり言葉を発し、行動を繰り広げる。それは脱ではなく反社会性の色彩を持つ。一種の抵抗運動(レジスタンス)なのよ。幽玄の世界に遊ぶ訳にもいかず、色や形を愛でるだけでも事足りない。権威的な先人の評価をとりつけることなどナンセンスなのだ。この場所、この時に集団でありえるか否か。
狂熱でも扇動でもなくユルヤカで穏やかな冷静な眼差しが必要なのでしょう。愛ゆえに狂おしくです。

異常なまでに装飾されたツメを持つ人と、一日中キャンバスの上の絵具のことを考えている人とは社会においては「少数派」という点では良く似ている。マジョリティーの中から生まれて来るもは強欲と薄笑い、精神の脆弱さと物騒さがザワメいているだけです。もうそこにクリエイティヴの輝きはないかも知れません。平和な日々と引換に失ってしまったものだとしたらこの社会は何んと野蛮な状態のままなのだろう。
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美術でも科学でも哲学でもなんでも良い、一歩その世界に足を踏み入れてみると分かるものがある。
それがドグマでありディレンマである。アートの集いはそれの圧力を変化させる力があるはずである。なければならないと思っています。

2008年9月のアズーミュージアム’08のシンポジウムの模様と
2009年4月の新たなる架空通信展の会場風景をご覧下さい。
少数派の希望の光が見えます(?)  
                        【アートの集い】次回に続く
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写真*1 2008.9.15(sun) 「アズーミュージアム’08」館内ドリームホール会場にて行われたワークショップ「コラージュするは我にあり」の作品

写真*2 2008.9.16(mon) 「アズーミュージアム’08」館内ドリームホール会場にて行われたシンポジュム「芸術は世界を救うか?」の模様 上より、森口ゆたか 、一橋和義 、上より3枚目、テーブルトーク 左より中澤照幸、森口ゆたか 、一橋和義 、奥西豊彰、(敬称略)下 パネラーと参加者のみなさん。

写真*3 2009.4.16(thu)→4.21(tue)「新たなる架空通信展」神戸アートホール 画面左手前 山田幸作 からっぽの玉石 能勢黒自然石 280×410×150mm 制作年2009 その向側床上 堀野利久 ECO地蔵(六地蔵) 陶 700×300×270. 900×400×270.各×3P 制作年2008 画面奥左より 立嶋滋樹 西端の春 oil on canvas 1122×1450mm(部分)杉本晋一 重力都市13s oil on canvas 1310×1620mm 制作年2008  福田新乃助 島のねむり acrylic on canvas 1445×1120mm  制作年2009  その右手前床上 林 宰久 原初の記憶 鉄 1200×1200×1200mm  制作年2009 その右奥壁面 山本修司 雫れ日 acrylic on canvas 910×1956mm 制作年2009 越智 守 水たまりの記憶      水彩・油彩 1300×1300mm 制作年2009(部分)

写真*4 山本修司 雫れ日 acrylic on canvas 910×1956mm 制作年2009 林 宰久 原初の記憶 鉄 1200×1200×1200mm  制作年2009 越智 守 水たまりの記憶  水彩・油彩 1300×1300mm 制作年2009(部分)

写真*5 左より 中澤照幸  MODALITY --- SACRIFICE  acrylic on canvas 1621×1303mm 制作年2009 画面最奥左より 吉野晴朗 心の玉手箱 インクジェットプリント(各)440×320mm 制作年2009   杉本晋一 重力都市13s oil on canvas 1310×1620mm 制作年2008  画面中央  西村正徳 葉隠れ テントシート、鉄 2000×1700×800mm 制作年2009  その右手 画面最手前 山本修司 雫れ日 acrylic on canvas 910×1956mm 制作年2009 福田新之助 島のねむり acrylic on canvas 1445×1120mm  制作年2009 (部分)林 宰久 原初の記憶 鉄 1200×1200×1200mm  制作年2009 その右手  越智 守 水たまりの記憶  水彩・油彩 1300×1300mm 制作年2009 そのとなり 三村逸子 踊る身体と増殖する脂肪2009-4 acrylic on canvas 1621×1303  制作年2009(部分) 手前床上 堀野利久 ECO地蔵(六地蔵) 陶 700×300×270. 900×400×270.各×3P 制作年2008(部分) 若林節子 土塊09-4 土・漆喰・木 1300×700×700mm  制作年2009
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by azure-laboratory | 2009-05-03 22:26 | アート
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