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MODALITY 2008/Wisdam               照明が与えられたにせよ

雨に打たれて佇む作品が、我が家の玄関の軒先きにある。
反芸術「ダダ」の巨匠マルセル・デュシャン の影響そのままです。

デュシャン は、わたしより71才年上のフランス人で、わたしが小学4年生のときに他界しました。その2年前に発行された、



ピエール・カバンヌによるインタビュー(『デュシャンは語る』ちくま学芸文庫)の中でデュシャンは「網膜的」な芸術への懐疑と嫌悪を明言していますが、実は終始「視ること」に収斂しつづけていた感があります。これはやはり美術家的であると言える訳です。好きこそ物の嫌いなり風なアイロニーだ。愛ゆえにです。オリジナリティーの不在を当然と説く人が多い中、彼こそミスターオリジナルだとわたしは思う。工業製品にサインをする、モナリザの複製画にヒゲを描く、パリの空気をガラスアンプルに詰める、「視ること」は「触覚的」でさえある。触れると芸術になる、なってしまうのだ。「大ガラス」や「遺作」見よ。

自身でコントロウルできないものへの憧れと苛立ちは古今東西誰の心の内部にもあるのでしょう。それは天空の果てに昇華されていく宇宙的な宗教的な神秘と、人間でしかない、トカゲやコヨーテのような生き物でありつづける野生のエロスとの間で引き裂かれたランデヴーこそ、反芸術のモチベーションなのかも知れません。

冷たい雨に濡れながら見下ろさせるオブジェ。 
T.NというサインとWisdam(叡智)という題名、
2010年の日付けとを持つレディメイド。

このわたしにオリジナリティーというものがはたして、どれぐらいあるのか?またそれが本当に尊いのか?白いタイルの上で輝かしい表面を見せる「その物体」に一瞬間、心を奪われているわたしがいる、今日の風向きや空気の臭いと共に。はかなさは案外と強いもののようです。

昨日、映画「おくりびと」を観ました。ロケ地山形県の風景のそこここが、
今日のわたしの家の玄関に通底している感覚があります。映画のクオリティーとわたしの反芸術によって。


                (※画面をクリックすると大きなサイズで見れます)
MODALITY 2008/Wisdam               照明が与えられたにせよ_c0035667_2041066.jpg

「MODALITY 2008」 (部分)既製品/ゴム/植物繊維/アクリルえのぐ(2008年5月.中澤照幸/制作) Copyright AZURE ART LABORATORY All rights reserved 許可なく転載を禁じます。
by azure-laboratory | 2009-02-24 20:11 | アート
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